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「菊」
「はい」
ある朝のこと。
朝食を食べ終わったアーサーが神妙な顔をして菊に声を掛けた。
「ちょっといいか?」
「待ってください、食器を洗ってしまうので」
「…わかった…」
けれどもあっさりと待つように言われて脱力する。
珍しく真面目に話しかけたのにこれだからまぁ、仕方ないのだけれど。
畳にごろりと寝転がるとイグサのにおいが鼻につく。
そのまましばらく過ごしていると、洗い物を終えた菊が戻ってきた。
「お待たせしました…おやおや」
「っわ!いや、あの、これはっ!」
「馴染んでいただいたようでよかった」
「…おう」
「ふふ…それで、お話は?」
入ってきた菊が軽く目を見張って、アーサーがいたずらがばれた子供のような顔をする。
それでも菊が話を振るとわずかに緊張感を漂わせた。
「あのな、俺も随分回復したと思う」
「ええ、まぁ確かにそうでしょうね」
「それでだ、その…帰ろうかと、思うんだが」
「はい」
ごくり、アーサーが喉を鳴らす。
「一緒に…行かない、か?」
「……………え?」
たっぷりの間の後、菊がぽかんと口を開いた。
「だから」
「ちょっ、ちょっと待ってください!どうしてそんな話になったんですか!?」
「…っそ、れは」
もぞもぞとアーサーが口ごもる。
少し頬を染める仕種は可愛らしいのだが、いかんせん青年男子がやるには痛い。
菊も引きつつ問い掛ける。
「それは?」
「その…菊が……菊に、ついてきて…欲しい、から」
「……」
「だ、駄目か?」
恐る恐る菊の顔をアーサーが覗き込む。
菊は自分のほだされ易さをよく理解していた。
だからこそアーサーの言葉に心がぐらぐらと揺れて、ついて行ってもいいかもしれない、そう思っているのがわかる。
とりあえずぱちぱちと目端きをして――困ったようにほほ笑んだ。
「行きたいとは思いますけど…」
「ほんとか!」
「ええまぁ、でもこの家を放っておくわけには参りませんし」
「あー…」
「私だけの問題ではありませんからね」
「そうだよな…なぁ、菊」
ふ、と。
アーサーの声音が変わる。
真面目な、けれどどこか甘いものに。
「………あ、の。アーサー、さ」
「ついてきて欲しい…のは…その、嫌だ、って思うかもしんねぇんだけど…」
「アーサーさん、」
「…好きなんだ。菊が」
「――…ッ!」
真っ直ぐな目が、衒うように誇るように綺羅星になる。
その碧が菊を捕らえて、縛られたように動けない。
「……アーサー、さん」
「…うん」
「そんな、こと、急に…言われても」
「……悪い」
「困ってしまいます」
「………ごめんな」
けど、好きなんだ。
ぽつんとアーサーの呟きが落ちる。
「わたしは…」
「…?」
「あなたを、好ましく思っていますよ。あなたのその激情は私にはないものですし、ひたむきさはいいことです」
「どういう…意味だ?」
「…困って、いるんです」
ふぅと小さく菊が息を吐き、アーサーはバツが悪そうに目を泳がせる。
実のところくるくると変わる表情を菊は面白く思っていたのだが、この時ばかりは彼のひと言にどう対処したらいいのだろうと菊自身もぐるぐるとしていた。
「嫌なら…嫌だったらいいんだ、行かないって…言えば、いい」
「アーサーさん…」
「1週間くらい後にここを発つから。返事は…行くか、行かないかでいいから」
「……はい」
少しだけ笑顔らしきものを浮かべて菊が頷く。
それからお風呂をどうされますかと訊いて、じゃあ入ってくるとアーサーが返して出て行って、それから菊はへなへなと机に崩れた。
「うわぁぁぁ…」
頭を抱え込んで声をあげる。
必死に押し隠していたがアーサーがいなくなってようやく混乱を表に出したのだろう。
ひとしきり唸ってから真っ赤になった顔を上げる。
「うう…そんな、こと…」
ふるふると目を潤ませて。
つぶやく。
「ついて行くしか、ないじゃないですか…」
ちなみに。
その頃のアーサーも浴室(温泉)で顔を赤くして頭を抱えていた。
(言っちまった!言っちまったー!!)
なんと言うか、似た者同士というか。
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