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「アーサーさん、お食事できましたよ」
菊がそっとかけてきた声でアーサーは読んでいた本から顔を上げた。
見上げた先に菊がいる。
その肩にちょこんとブラウニーが座っているのを見て小さく笑った。
「今行く。…慣れたみたいだな」
「ええ、随分と」
イギリスに渡って1週間がたったが菊は未だ和服のままだ。
洋服を着たこともあったのだが矢張り慣れませんねのひと言で終わってしまった。
とりとめのないことを話しながら(例えば家にいる妖精のことや日本を発つ時に挨拶をした犬神のこと、実はアーサーに弟と呼べる存在が3人ほどいることなど)ダイニングまで歩く。
ダイニングには菊が作ったいつもどおりに美味しそうな食事と――
「よーうアーサー」
「…って、めぇフランシス何しに来やがった!」
フランシスが座っていた。
先ほどアーサーを呼びに行く前には確かにいなかった人物に菊は驚き、すわ泥棒かと思いもしたがアーサーの知り合いのようなので一応緊張を解く。
けれどアーサーが噛み付かんばかりに警戒しているのを見てどうしたものかと考えた。
「菊、絶対こいつには近付くなよ。孕むから」
「…何言ってるんですかアーサーさん…」
心配の方向が微妙にずれているアーサーに菊があきれたような声を出す。
「まぁそう邪険にすんなって。えーと菊ちゃん、だっけ?俺はフランシス。よろしくなー」
「はぁ…よろしくお願いします」
「つーかそれ本物?すげー…え、菊ちゃんってなに?」
「…鬼子ですよ。誰もが忌避する存在で、…ちょっとなんで角触ってるんですか!」
「うぉわすげーざらざら」
「ひゃぁっ」
「何やってんだフランシスてめー放せ!今直ぐ放せ!!」
そんな感じで。
触られることに耐え切れなくなった菊がフランシスをぶん殴って事態は収まった。
丸くはないけれど。
「うあぁ驚いた…」
「菊、大丈夫か!?」
「あー…はい、大丈夫です」
弱々しいがちゃんとほほ笑んだ菊にアーサーはほっとして、騒ぎの元凶をぎろりとにらみ付ける。
テメェなんでいる納得いく言い訳しやがれ。
「いやぁアーサーがアジアの綺麗どころを連れてかえって来たって風の噂で聞いてな」
「よーし歯ァ食いしばれ」
「なんでよ!お兄さんだってアジア気になるんだよ!」
「知るか!」
ぎゃんぎゃんとアーサーとフランシスが言い合うのを聞きながら、菊は早く食事を始めたいなぁと考えていた。
フランシスが食べるのなら彼のぶんも出した方がいいのだろうし、まぁ量は多めに作ってあるので何とかなるのだがどうするのだろうか。
「あーつっかれた…アーサー」
「なんだよ!」
「おかえり。あとおはよう」
「……おう」
ふとフランシスがこぼした言葉はどこか優しく、ぶっきらぼうに答えたアーサーも雰囲気は柔らかだった。
ああこのふたりは本当は仲がいいのだろうな、と菊が思うほどに。
「あ、そういやさぁ」
「なんだよ」
「玄関にマシューいるぜ。なんか遠慮しちゃって入ってこねーのあの子」
「早く言えばかぁ!」
ばたばたばた、焦ってアーサーが玄関に走る。
フランシスはあきれた苦笑いで、菊は不思議そうな無表情でそれを見送った。
勢いよくドアを開けると、そこに立っていたマシューがくるりと目を丸くしてアーサーのほうに振り向く。
「マット、マーティ!うわお前でかくなったなー!」
「あっ…お久し振りです、アーサーさん」
「久しぶり。アルに会った時も思ったけど…俺、ずいぶん寝てたんだな」
アーサーの言葉にマシューが驚いてぱちぱちとまばたきをする。
アルフレッドがどこかに行ったことは知っていてもどこに行ったかは知らなかったからだ。
「アルに会ったんですか?もーあいつ急にどこかに行っちゃって、帰ってきてもどこに行ってたのか言わないし…そっか、アーサーさんのところに行ってたんだ」
「ああ、きてた。入れよマット、飯は?食べていくだろ?」
「いいんですか?」
「いいよ。…べっ別にお前のためじゃないぞ!いつもふたりじゃ菊も作り甲斐がないだろうし寂しいからな!」
「じゃあお邪魔します」
天の邪鬼と言うかなんと言うかなアーサーの台詞に慣れた様子で返事をして、一瞬顔を引きつらせた。
まさかアーサーさんが作ったのかな。
けれど食事を作ったらしい耳慣れない名前にマシューは疑問を覚える。
「ところで菊って誰ですか?」
マシューの素朴な疑問にアーサーはまばたきをして、アルに聞いてないか?と訊いた。
聞いてないですとマシューが返せば菊はアジアからきたんだと言って少しだけ頬を緩める。
まぁ先ほどから緩みっぱなしではあったけれど、それはそれ。
「じゃあアーサーさんアジアにいたんですか?」
「どうもそうらしい。どうやって行き着いたのかは…想像つくけどな」
「……機関」
「ああ」
不機嫌にアーサーが唸る。
けれどもダイニングに着くころにはまた顔を緩めて、菊とフランシスが何か話し込んでいるのを見て引きつらせた。
そんなころころと表情を変えるアーサーを珍しいなぁとか思いながらマシューが見る。
「なに菊に近付いてんだフランシス!」
「ちっ…帰りが早いんだよ!」
「ちっとか言ってんじゃねぇ!お前口説こうとしてただろ!」
「そりゃまぁこんな可愛い子を前にして口説かないのは?ガンコナーとしてはやるしかないっつーか?」
「あの、私男なんですが」
「………………まじで!?」
フランシスが目を見張って菊を見る。
「気付かなかったんですか」
「うん全然、ふつーに女の子だと思った」
そんな問答をするふたりの間にアーサーはいらいらと割って入った。
それから菊に向き合って、食事はもうひとり増えても大丈夫かと聞く。
「大丈夫ですよ」
「じゃあマットに出してくれるか?あ、こいつマット。アルの兄弟で…俺の弟みたいなもんなんだ」
「はい、よろしくお願いしますね。菊です」
「あ、えと、マシューです!」
「家族っていいですよねぇ…あ、あのアーサーさん、フランシスさんは」
「あ、これは別にいらねぇから」
「ちょぉいアーサー!」
「黙れ帰れ」
「アーサーさん、」
すっぱりとフランシスを切って捨てたアーサーに菊が非難の目を向けると。
罰が悪げに4人ぶんもあるのか?と尋ねて菊の返事に残念そうな顔をした。
「大丈夫ですよ、私はそんなに食べませんし量も多めに作ってますから」
「…………菊が言うなら、まぁ、フランシスに食わさんことも、ない、かな」
「ありがとな菊ちゃん!」
「いえ」
そのあと菊の料理を食べたフランシスがちょ、絶品!アーサーには勿体ないうまさ!菊ちゃんこれの味付けどうなってんの!?と叫んでしょっちゅう料理を作りにきたのはまた、別のはなし。
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